メンサ会報誌表紙写真

JAPAN MENSAが発行する会報の表紙用に写真を提供してほしい、というご依頼がありお受けしました。とはいえ最近の話でもなく実は既に3回ほど提供済みです(月刊誌なのです)。

上が最初に提供した写真と、2回目に提供した写真です(会報はメンサ会員しか見られないのでここでは文字を乗せる前の状態をご紹介します)。いずれもInstagram用に撮った写真の転用です。特に2回目の写真に関して、やはり文字用のスペースをあらかじめ計算しないとシックリこないな、という自分なりの反省点が。

そんな中先日3回目のご依頼があったので、結局それ用に新撮しました。

上がその新撮した写真です。文字スペースはバッチリなのですが、これが何の写真だか分からないという声が。これはメンサ会員の友人宅で撮影した、テーブルの上に置いたコーヒーカップなのですが、そういう疑問が出るとは予想できませんでした。僕はわりと、自分にとっては前提でも相手にとってはそうでないことの説明をしっかりするタイプなのですが、今回は盲点でしたね。恐らく非言語的な分野だからでしょう。

でも(何か分からなくても)写真として好きといった声も多く頂きまして、さすがメンサ会員というか、写真とはそういうものでもありますのでとても嬉しかったです。勿論今後撮る際は分かり易さにも留意しようと思います!

尚メインサイトにも写真カテゴリを設けて、今回の表紙写真を第1弾として掲載しました

馴染めない

このブログ、あまり更新できてない割にアクセスが多くありがた申し訳ないです。特にIQ/知能カテゴリが読まれているようなので、久々に同カテゴリに投稿しましょう。今回は、高IQ者が社会に馴染みにくいと言われていることに関して。

社会に馴染めないというのは、僕もいろいろ誤魔化しているとはいえ根本的にはそうなのでよく分かります。自分が馴染めない理由と他の高IQ者が馴染めない理由は勿論同じではないでしょう。しかし自分の感覚を他のメンサ会員に話すと同意されることも多いので、以下原則として僕個人の見解だけれど少しは一般性もあるかもしれない、くらいの気持ちで読んで頂ければと。

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世の中には、一度見たことを決して忘れない人がいます。読んだ本は一字一句覚えているし、それどころか特定のページの汚れまで覚えている。僕の知り合いにもそういう人がいます。僕はそこまでではありませんが、それでも平均よりは記憶が良いようで、このことが自分の中で問題を引き起こします。

例えば皆でカレーを食べようと決めて出かけたのに、誰かがカレー屋に着く頃にはそのことを忘れてラーメンを食べたがったら面食らうでしょう。でも、もし皆がその人と同じ程度に忘れっぽかったらそのグループで問題は起こらず、むしろカレーの件を覚えている人が浮くかもしれません。平均より記憶が良いとはこういうことです。

勿論これは大袈裟な例で、僕自身が感じるギャップはそこまで大きくはありません。でも読んだ本一字一句レベルの人なら当然違和感は大きくなり、グループから浮かないことは一層難しくなるでしょう。

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別の例を挙げます。バレンタインデーとホワイトデーはどちらも14日なので、必ず同じ曜日になります。2月は28日しかなくこれは7で割り切れるからですが、そんなこと考えるまでもなく自明だという人と、かなり考えて分かる人、考えても分からない人に分かれます。

そして自明な人は一瞬で答えが見えてしまうが故に、分からない人の感覚を想像しにくいのです。分からない人はあまりの不可解さに困惑し怒りだすかもしれません。その感情は同じように「考えても分からない人」や「かなり考えて分かる人」には共感でき、彼らはお互いに馴染むことができます。しかし自明な人にとってその怒りは唐突過ぎるしショックなだけです。しかもその感情は共有されず、結局ここでもグループから浮くことになるのです。

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それだけ頭が回るのなら「考えても分からない人」のことも推測し理解すればいいじゃないか、という意見はもっともだと思います。しかしバレンタインデーとホワイトデーの話はあくまでも例です。もっと複雑な問題すら簡単に解いてしまうくらい論理性の高い人は、平均からの乖離があまりに大きく結局溝を埋められないかもしれません。

僕にはその孤独が理解できます。しかしその上で敢えて言うと、めちゃくちゃ頭が良いのに物凄く社会に馴染んでいる人がいるのも事実です。それができる人は説得力のある価値観の軸を複数持っていることが多い気がします。だからこそ相手がカレーの件を忘れていても総合的にはリスペクトでき、それが相手にも伝わるのでしょう。僕も理想としては、そういう心の持ち方ができればと思っています。

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繰り返しますが、以上はあくまでも僕個人の見解で、他の高IQ者の感じ方がこれと同じだという訳ではありません。ここまで悩ましくないという人もいれば、逆にもっと遥かに孤独が深い人もいるでしょう。ただ少なくとも、高IQというのは便利で悩みがなく無双しまくり、みたいな状態でないことは確かです。それどころか案外切ない面もある、ということが少しでもお伝えできれば、この記事を書いた意味があったと思います。

SHOWREELを作った

自分のSHOWREEL(作品集)を3年ぶりに作りました。この3年の間に作ったものを中心にそれ以前の旧作もチラホラと。

まあ端的に言ってこれは自分の生活が楽しかった、その記録の集積ですね。ディズニーランドに行くのが好きな人が行く度に写真を撮ったとして、それをアルバムにまとめたような。それのもっと自発性と密度が高いバージョンです。

今更ながら僕は仕事大好き人間なのですよねー。職人的に作る部分は言わずもがなとして、プレゼンや打ち合わせも含め、嫌いな部分がありません。周りの皆様も何故かめっちゃ好意的に接してくれるし…。先日風邪を引いたのですがこんな独身の僕でも仕事関係者の皆様が親身にいたわってくれて助かりましたからね!仕事に生かされております笑。

仕事関係者と言えば、このような数分の作品集であってもそこに関わっている人の数は膨大です。映像というのは小説や絵画と違って、世間と関わらないと一定レベル以上のものを極めて作りにくいジャンルです。しかも僕の仕事というのは相手の求めに応じているようでいて、クリエイティブに関してはこちらのやりたいことに付き合ってもらわないと質が上がらないという構造になっています。つまりある意味で我儘である必要があるのですが、そんな我儘に膨大な数の皆様にお付き合い頂いて本当にありがたい限りです。

それからこの作品集自体が思いがけず好評でした。人は、ある人物の泣き顔の写真と笑顔の写真を連続して見せられたら必ずそこに、悲しんでいた人が笑ったというストーリーを見ます。ただの表情の羅列と分かっていてもストーリーを見ないことは不可能です。作品集も同様にただの羅列としては認識されないので新作として作るしかなく、それをわりと好意的に受け止めて頂いているのは作者としては嬉しい限りです。

CGのリハビリ

最近趣味のポートレート撮影にハマり気味で、撮ったものはInstagramに投稿しています。それを知る友人から先日「どのような判断基準でシャッターを切るのか」という質問をされました。まずこの質問自体が極めて知的なのですが、そういう相手なので簡略化しないバージョンで答えたのが下記です。

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野外ポートレートの場合、一般に順光側より逆光側が良いカメラポジションとなる(勿論違う考え方もある、以下同様)。しかし逆光でも背後に目立つ看板があったり、モデルさんと自分との間に遮蔽物があったら不都合。但し遮蔽物がモデルさんを部分的に隠すことで良い構図となる場合もあり、一律にダメな訳でもない。このように良いカメラポジションは空間内に単純には分布しておらず規則性を把握しにくい。通行人の状況や太陽の角度など、時間との関係で変化する要素もある。

つまり、最適なカメラポジションを求める際に考慮すべきパラメータは非常に多い。しかも被写体は生きた人間なので動くし、表情も雰囲気も一定ではないから更に計算は複雑になる。

それに加えカメラマンは計算に専念するのではなく、モデルさんをディレクションすることで計算結果に影響を与えなくてはいけない。ディレクションの前提として、撮影前からの信頼関係の構築が必要になる。この構築やディレクション自体も計算なので、こうなるともうやるべき計算が膨大になり過ぎる。まるで人生自体を計算しようとするが如きである。しかしそれでもなんでも無理矢理にひとまずの解を導き、その解が一定水準に達しているか否かをシャッターを切る際の判断基準とする。

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このような問題をコンピュータに解かせるのは今の時点では難しい気がします。仮にロジック部分を解けたとしても、ディレクションの際はそれを言うのが人間であるという要素が重要だと思われるので、同じ効果をコンピュータやそれに付随するシステムで狙えるかは微妙です。つまりポートレート撮影は自分にとってはデジタル的なショートカットを導入しにくい、その意味で極めてアナログな分野です。

僕の日頃の仕事はCGの割合が高いのですが、何かそのリハビリでポートレートを撮っているような気が最近はしています。

フィルタリング


大変お久しぶりの更新になってしまいました。自分の近況という意味では、仕事で作った作品の中で公開して良いものは随時メインサイトに追加しています。作品リストも随時更新中で、こちらには動画本編を公開できない作品に関してもタイトルだけ掲載しています。

もう少し日常的な近況はFacebookに比較的マメに投稿しています。半分以上の投稿は公開設定です。フォローして頂いても可です。友達リクエストへの対応だけは条件を付けていて、面識のある方のみ承認しています。

ちなみに以前は「SNSである程度やりとりした方か、面識のある方」という条件でした。そもそもFB自体、MENSA(というこのブログにも何度か書いている高IQ団体)の主な交流がFBグループ上でのものだったので始めたのですが、あまり興味がなくなってMENSAのFBグループは抜けてしまいました。結果的に面識のない方とSNSで新たに知り合うというパターンはなくなっています。

ただその状態も本意ではないのでどうにかしたいとは思っています。勿論誰とでも無条件に友達にはなれないので、上手いフィルターのかけ方を模索中なのですよね。MENSAフィルターは自分にとってはあまり意味がありませんでした。意味がないというのは、MENSA会員と非会員をそれぞれ一定人数集めた場合、その中で自分と仲良くなり得る人の数に差がないということです。一応MENSAよりも遥かに入会条件が厳しいHelliqという団体にも入っていますが、Helliqフィルターに意味があるかは判断保留中です。念の為補足しますが以上あくまで個人的な相性の問題に過ぎず、一般的な人間の資質や優劣とは無関係です。

そういえば、InstagramはFBよりも更にマメに更新しています。作品的な志向が似ている方から感想を頂いたりモデルの申し出を頂くことがありますが、そういう方とは他に共通項がなくてもちゃんとしたコミュニケーションが成立する度合いが高いように思います。これはやはりオリジナル作品という狭くて深い指標に基づく出会いだからかもしれません。

そしてそのような、ある意味アナログで手間のかかる出会い方は以前から存在しています。自分はロジカルなショートカットならなるべく使いたいし、そのような志向性がPCやテクノロジーに関わる作業全般に向いていることはほぼ間違いないと思っています。しかし人間関係の構築に於いてはそのような上手いフィルターのかけ方は結局存在しない、ということなのかもしれません。