自己目的的

前回ご紹介した即興動画ですが、最後に何か文字が出ないと落ち着かないのでインスタアカウントのCMということにしました。一見本末転倒なのですが、成立感、完成度という意味ではこの順番で考えるのが一番上手く行く気がします。

ということはある意味それが本来の順番で、つまり映像作品は自己目的的に存在しこそすれ、他の何かを伝える為に存在しているのではない、ということになります。そう見えてもそれは後付けです。これは小説でも写真でも映画でも何でも同じです。オケから作ってそこから想起される歌詞を当てれば必ず合う、みたいな話に少し似ています。

では広告代理店には存在価値がないかというとそうではありません。自己目的的なアプローチが最適である以上現場はそっちに傾くので、商品とか訴求内容の都合を踏まえそこを補正する役割の方がいることは大事かと思います。CMソングなら商品名は入れなきゃね、みたいなことです!

完成させないで

前回に続き宇多田ヒカルネタ。「光」という2002年の曲の歌詞に「完成させないで、もっと良くして、ワンシーンずつ撮っていけばいいから」という一節があるのだけれど、ああこんなこと言われたら惚れざるを得ないなと、当時思ったものでした(実際彼女はその後MV監督と結婚したし)。やっぱり彼女はものすごーく、ものすごーくクレバーだと思うのですよね。お皿洗いは僕のほうが上手いけど。

NUIKK

僕は「ぬいぐるみ飼い主の会・NUIKK(ぬいっく)」という団体を主宰しています。入会条件はぬいぐるみをかなり本気で可愛がっていることで、会員と認められるのは今のところ僕以外には2名です。ちなみに高IQ団体は(最大手MENSAを除き)大抵「~iq」という名称なのですよね。3万人に1人しか入れないと言われるHelliqとかも。NUIKKは「iq」を用いずに「いっく」を実現しているのがポイントです。

で、なぜ急にこんなことを書いたかというとたまたま、自身で監督したという宇多田ヒカルのMVを見て、彼女は絶対会員資格あると思ったので!宮崎駿は、サツキとメイは大人になったらトトロに会えなくなると言っていたけれど、宇多田ヒカルは一生余裕で会える系です。たぶん僕も。

小室哲哉方式

突然ですが、PVでもCMでも、ちゃんと考えて作ろうとすれば結局作品単体ではなくブランディングの問題になってしまいます。なので、映像職人としてミニマムな部分だけを頼まれるよりも全体を見て考えろと言われる方が自分としては自然です。最近ではそういった全体の相談をして頂けることも多く楽しいです。

ただ、ブランディングを専門的に考えている人たちは主に会議室にいる印象なのですよね。自分の場合、常に会議室にいたい訳ではなく最終的には自分で撮ったりCGを作ったりもしたいタイプです。全体を見たいと上に書きましたが、職人が嫌なわけではなく全体を見た上で職人もしたいのです。

なんて我儘なんだと思いますが、これを自分では勝手に「90年代の小室哲哉方式」と呼んでいます。つまりプロデューサーでありながらも演奏するしコーラスも歌うという…。僕が学生の頃がまさに小室氏全盛期だったのですが、その頃からそういう形で仕事をしたいと思っていました。

そのやり方を通す為にはマニアックな部分と分かりやすく説明する部分の両方が必要ですが、それをまさに実践していたのも小室哲哉です。勿論小室氏と僕では仕事のスケールもクオリティも全然違うのですが、だからこそいまだにインスパイアされるのです。

嫌なものは嫌

夏休みが終わる時期は子どもの自殺が多いそうな。その気持ちはメチャクチャ分かります。特に小学校はいじめもあったし1ミリも楽しくありませんでした。卒業式が終わって校門を出る瞬間「やっぱり意味なかった」と思ったのをハッキリ覚えています。

僕はそういう嫌なものには付き合わないことにして今に至ります。そのこと自体は別に自慢にはなりませんが、そういう生き方もあるというのは参考情報としてお知らせしておきます。

そして少なくとも、死ぬほど嫌なことなら無理に付き合わなくていいのは間違いありません。何かを克服してそれが為になる、というのは苦手の中に好きが何パーセントかは入っている対象に関してです。自殺したくなるほど学校が嫌なら行かないほうがいいに決まっているし、自分の感覚を大事にすべきです。

そして補足するならば、死ぬほどでなくても、少しだけ嫌な場合でもその感覚はとても大事です(対象を避けるかどうかは別にして)。社会人の多くは本質的には伝えたいことが何もありません。それは元からなかったのではなく、自分の感覚をどこかで無視してしまった結果なのではないかと僕は思っています。