20年以上前のライブDVDを買った


買ったのは、TM Networkが1994年に一旦終了した際の、ラストライブ2Days@東京ドームのDVDです。VHSでは持っていましたが買い直しました。
当時僕は大学生でしたが、コンピュータのピコピコ感が好きそうな人が多い学部(慶應SFC)だったので、学生が続々と授業を切り上げて参戦していたのを覚えています。勿論僕もその一派で、このライブにこそ行きませんでしたがそもそもメタクソ小室ファンでした。

小室ファンとして特にこのライブが好きなのは(大変逆説的ですが)数々のライブの中で群を抜いてやる気がないからです笑。
そもそもTMの曲はその多くが清々しいくらいに小室本位なので、シンセ奏者が一番美味しくなるように構成されています。サビの直前とか間奏とか、或いは曲によってはサビ自体とか、とにかくここぞ、という時に小室が弾くべき美味しいシンセフレーズが出てきます。その効果で盛り上がる観客席…そういうものを想定しながら彼は曲を作っているはずです。
でも、そこまでして曲を作っておいて、肝心のライブでは弾かないんだこれが笑。その美味しいはずのフレーズを実際に担当するのは大抵アシスタントかシーケンサーの自動演奏で、彼自身はその上に被る即興フレーズ(聴こえないことも多い)を弾いているか、ボイス系のサンプリング音を連打しているかです。
但し当該曲のリリース直後は別です。リリース直後ならその曲にエモーションが乗っているので弾きますが、程なくして飽きてしまうので上記のような状態になりがちです。
でもこれは、ファンとしてはやむを得ないと思うしかありません。使い古された言い方ですが、そのような極度の飽き性と創造性は多くの場合表裏一体だからです。「ライブという場での創造性は制限される」と彼自身何度もインタビューで語っています。でも、僕はミュージシャンではないので詳しくは分かりませんが、そもそもライブにこの意味でのスタジオワーク性を求めることって矛盾な気がします。そのスタジオワークの産物がバリバリにライブ志向なのだから尚更です。つまり敢えて抽象すれば、誰よりも楽しみたいのに構造的に楽しめないのが小室で、彼の恩恵で楽しめるのがウツと木根、ということになりはしないでしょうか(?)。

1994年のライブに話を戻すと、当時TMは絶賛開店休業状態だったので、当然ながらどの曲にもエモーションが乗っていません(当時気合が入っていた対象はtrfとか篠原涼子です)。でもライブとしては空前の規模だし、舞台装置や照明の完成度も高く、何より客席の盛り上がりが尋常ではありません。そしてそうなるように、飽きられないように完成度が高まるように、10年間あらゆる知恵を絞ってきたのは他ならぬ小室です。その成果が目の前にあるのに、ステージ上で唯一彼だけがぜんっぜん楽しそうでないという…^^;メインのシンセフレーズは、最後なので流石に多少は弾いてくれるのですが「小室やる気バロメーター」と言われているショルダーキーボードは1回も使いません。コーラスに至っては歌う気ゼロなのでマイク自体設置されていません。
なんというか、創造性が若干特異な形で発現してしまった人間の矛盾がここまで浮き彫りになっている映像ってなかなかない気がします。ライブ終了後彼は周りが泣いている中「照明が綺麗だったのでずっと見ていた」と感想を語ったそうです。

こういう風に書くと、小室に対し印象を悪くする人もいるかもしれません。でもライブ中、彼が敢えてドラムを担当した曲の時だけは、彼は子どものように破顔していました。そのような子どもの魂に退屈することを強いるのが彼にとっての世界です。これは音楽業界が云々といった卑近なことではなく、もっとずっと根源的な次元の話です。当然、誰が悪い訳でもなく対処法もありません。また、こういうことが創造的な人の全てに当てはまるとは僕も思いません。しかし少なくとも彼のようなタイプの人は、長期間安定しては存在できない元素のように生きるしかないのでしょう。