突然ですが、いじめ問題について

僕は独身で子どももいないのですが、そういう年代ではあるので、子育てに関する話を聞く機会は多いです。そこで意外だったのは、のび太も彼をいじめるジャイアンも全体として微笑ましい、といった見方や、そのようなちょっとしたトラブルは子どもの成長にとって有効だ、といった見方があることです。
勿論悪気はないと思うのですが、そのような見方が結果として問題を生むというか、率直に言えばいじめの被害者を更に追い詰める可能性は高いように思います。当ブログは全くそういうテーマでやっている訳ではないのですが、かつていじめの被害者だった身としては他人事と思えないので、今回は例外的にこの問題について書こうと思います。

まず踏まえておきたいのは、なにがしかの嫌がらせを受けている子がいたとして、それをその子がどう感じているのか、当人にとってそれはいじめなのか、どの程度の深刻さなのか、といったことを他人が推測するのは非常に難しい、ということです。
ある子にとっては殆どダメージがないような些細な嫌がらせでも、ある子にとっては文字通り死ぬ程辛い可能性はあります。勿論当人が本心から「特に気にしていない」と言っているなら心配ないかもしれません。しかし、いじめに遭うような子はその辺の話題を避けがちでしょうし、事態の悪化を恐れて報告できないことや、加害者を庇うような嘘を付くこともあり得えます。なので余程ハッキリした根拠が無い限り、些細な嫌がらせやじゃれあいに見える関係性をいじめでないと断定するのは危険、ということになります。勿論、傍目にも明らかにいじめに見えるものはその時点で緊急事態なのは言うまでもありません。

では、些細な嫌がらせなのか、いじめなのか分からない関係性をもし発見した場合、どのように対処すべきなのでしょう。少なくとも、加害者を被害者から引き離せばそれ以上の状況の悪化は避けられます。
この対処方法は、実際にはその関係性がいじめでなかった場合、つまり単なるじゃれあいだった場合にもその機会を奪うので、その点は問題かもしれません。また、確かにある種のいじめではあったけれど、放っておけば被害者が加害者に反撃するなり自分の言い分を伝えるなりして自己解決できたかもしれない、その可能性を潰してしまう、という面もあるでしょう。特に後者の「自己解決」パターンはある意味貴重な人生経験かもしれないし、子どもが成長する機会でもあるのかもしれません。最初に書いた、のび太も彼をいじめるジャイアンも全体として微笑ましい、という主張をする人はこのような成長物語を思い浮かべているケースが多い気がします。

しかし逆に言えば、加害者を引き離すことで失われる可能性があるのは、じゃれあいの機会や人生経験くらいです。それは正直、全く大した損失ではありません。何に較べて大した損失ではないかというと、勿論それは被害者が死ぬことです。いじめは最悪の場合被害者を自殺にまで追い詰めます。そして、それを周囲が予見できていれば当然対処したでしょうから、殆どのケースで周囲は事態がそこまで深刻とは思っていなかった、ということになります。つまり、じゃれあいとか「貴重な人生経験」パターンかと思っていたらある日突然被害者が死ぬということです。

このように書いていても「そんな大袈裟な」とか「それは極論だ」といった感じ方をする人がいるのは予想できます。しかし今問題にしているのはこれを大袈裟だと思う、その鈍感さ自体なので致し方ありません。もし本当に鈍感でなく、克服できないレベルのいじめとそれ以外の関係性を100%の精度で区別でき、自分の子どもは後者のケースだと断定できるのなら、敢えて子どもに「貴重な人生経験」をさせるのも良いかもしれません。でも勿論100%の精度などあり得ないし、あり得ない以上、子どもにとっての深刻な被害を周囲が過小評価してしまうリスクを消すことはできません。

それに、たまたまいじめの度合いが被害者にとって克服可能なレベルで、なんとかそれを克服したとしても、それが本当に「貴重な人生経験」なのでしょうか。「貴重な人生経験」とはそこまでつまらない意味合いしか持たない概念なのでしょうか。
世界にはもっと遥かにマシな、見るべきものや体験すべきこと、出会うべき他者が存在しているはずです。どうして、いじめ加害者のような暴力的な人間と接点を持つことを重視しなくてはならないのでしょう。

僕は「ドラえもん」は大好きですが、「ドラえもん」はマンガであるが故に、のび太とジャイアンの問題の深刻さを見えなくしている面があるように思います。実際のいじめにはマンガ的な絵柄のほのぼの感はなく、和やかなBGMもなく、のび太を助けるドラえもんもいません。勿論現実の世界には映画版も存在しないのでジャイアンが善人になることもありません。もし現実にあのようないじめがあればのび太は死ぬ危険性があります。ドラえもんに代わりのび太を助けられるのは周囲の大人しかいないことを、自覚する必要があるのではないでしょうか。