15年前

年の瀬ですね。今年はMENSAに入ったりHELLIQに入ったり、その関連でFaceBookをはじめたり、挙句にInstagramにドハマリしたり、私生活はなかなか変化に富んだ1年でした。勿論ぼっち充、ネト充の枠組み内での話なんだけどね!

まあそれはいいとして、仕事はお陰さまで好調でした。それは勿論周りの皆様あってのことで、なんだかいつも非常に好意的に協力してくださる感じで、幾ら感謝しても足りません。しかしその一方、自分に関しては反省点もあります。

というのも実は先日、ちょっと古いデータが必要になり昔のHDDを漁っていたのです。そうしたら15年(以上?)前の自分の画像が出てきました。当時手がけていた某CMの撮影風景です。この画像の中の自分は初々しく見えるかもしれませんが、実はあり得ないくらい小生意気で自信過剰だったことを僕は知っています。なんせ本人なので。
正直クライアントの言うことをそこまで尊重しないこともあったし、周りを振り回し気味でもあったと思います。それでもなんでも仕事を続けてこられたのは、そんな欠点を補って余りある過剰な熱量があったからかも知れません。そしてその過剰さと、社会的な聞き分けの良さを両立させることは当時の自分には難しく、結果的に前者しか選べなかったのでしょう。

勿論、その仕事ぶりはトータルとしてアカンのですが、それとは若干違う次元の話として、仕事をつつがなく進行させる為の努力と物事を進歩させる為の努力は異質である、ということがあります。前者は、例えば事故を起こさない車のようなものです。それに対し後者はレーシングカーで、レーシングカーには当然前者の枠を超えた何かが必要でしょう。

つつがないと言っても、今どきの関係者は皆優秀でバランス感覚も働くので、安全重視と言いいつつも随所にチャレンジングだったりはします。それでもやはり全体としてはつつがない訳で、これは言うなればレーシングカーに若干似ている一般車を作っているようなものです。そしてそういう車は市場に溢れており、これはクリエイティブ的には行き詰まっている状態に他なりません。ガチのレーシングカーはレースのたびに改良を施しながらギリギリを狙うので、当然事故も起こるでしょう。そこまでして進歩させたがっている状態は傍から見ればクレイジーかもしれません。

端的にいうと、15年前の自分の写真から感じたのはそのクレイジーさです。もしかしたらそういう印象はないかもしれませんが、本人の言うことなので間違いありません笑。ここ最近の仕事への自己評価はレーシングカーに若干似ている一般車に他なりません。勿論そういう仕事ぶりが必要な局面もあるというか、むしろそういう局面がほぼ全てかもしれません。しかし、それだけでいいの?と、15年前のクレイジーだった自分が語りかけてくるのです。

主観と客観

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突然ですが、我々(映像制作関係者や代理店、営業担当者など)は殆どの場合、大枠としては「カッコよい映像」を制作するよう頼まれます。しかし打ち合わせなどの場で僕が「カッコよい」という言葉を使うことはまずありません。何故なら「カッコよい」という言葉は意味するところの幅が広すぎて、物凄く曖昧な議論にしかならないからです。

これは例えて言えば、街の恐らく全ての食べ物屋さんが「美味しい味」を目指しているのと同じです。その上でこってりしたラーメンもあればあっさりした蕎麦もある訳で、それぞれの食べ物をそれぞれ好きな人がいます。つまり「美味しい」という概念は物凄く相対的なのです。お互いにこのような前提に立てば、その相対的な立場の違いを補完すべくすり合わせをすることが可能になります。つまり、個人的には蕎麦が好きな人であっても、こってりラーメンを作ろうという企画の場合には発想を切り替えることができるようになる訳です。

しかしTVの美食番組などで、ラーメンの味を競う企画に対し「私は蕎麦が好きだ」的な感想を言う評論家を見かけることがあります。これは結局「主観と客観」というテーマを考えた経験があるかないかの差なのですが、その経験がなさそうな相手と仕事をしなければいけない場合、自分の中の翻訳機能や噛み砕き機能のレベルを最大に上げる必要が生じます。そういう人は出されたラーメンに対し、「私は蕎麦が好きだ」という意味で「もっと美味しくしてください」と言うことがあるからです。後者を前者に翻訳して理解するのは骨が折れるし、あまり望ましいコミュニケーションの形ではありません。

勿論その上で、信念としてラーメンより蕎麦が好きだと思うことはとても大事です。作品づくりとは極論すればそれが全てだし、蕎麦好きで集まって蕎麦を語るのが一番楽しいかもしれません。でもその「蕎麦好きで集まる」という概念自体が、世の全ての人が蕎麦好きではないことを前提にしている訳で、結局自分の好みが全てではないと認識することの重要性は変わりません。

全ては個人の主観で、宇宙の法則で絶対的に美味しい食べ物や絶対的にカッコよい映像、音楽などが定められている訳ではないのです。このバンドは絶対カッコよいのでとにかくオススメ、みたいな言い方をSNSで良く見かけますが、正直少し配慮が足りないと思います。しかし、ここまで書いてきてなんですが、物事には例外があります。何故か欅坂46だけは、宇宙の法則で絶対的に素晴らしいと定められています。たしか日本国憲法にも書いてあったと思います。という訳で欅坂を応援するのは国民の義務なので新曲のPVを共有しておきます。他は全て相対的で、欅坂だけは絶対的にかわいいのです。そこを間違えないでください。よろしくお願いいたします。

運要素

うわー、先月は1回しかこのブログを更新できなかった。FaceBookにはここよりは高い頻度で小ネタを投稿しています。Instagramに至っては更新頻度激高ですのでもしよければフォローしてみてください(但し純作品的です。日記的側面ゼロ)。というかむしろInstagramにハマっていて、仕事に割く以外の生産性がそっちに振り分けられているのがブログが更新できていない原因です。

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これらは、前の記事でも少しご紹介しましたがインスタに投稿した、女優/ミュージシャンのみやびさんと撮ったポートレート。

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そして街撮り。

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少しシャープな街撮り。

ちょっと写真スイッチが入ってしまっていますね。僕は大前提として仕事中毒なのですが笑、僕がやるような映像作品はCGも絡むしスパンが長いです。勿論そういうボリューム自体が醍醐味の一部ではあるのですが、瞬間的に結論が出る写真は別の意味で刺激的です。

CGは良くも悪くも汗をかいた分しか前進しないのですが、写真は、仮に歴史的な名作と呼ばれる写真があったとして、その瞬間その場所でカメラを持って立っていれば誰でもそれを撮れた可能性があるところがなんともギャンブルです。勿論それなりの方法論とか積み上げていく要素はあるのだけれど、それを全部運がチャラにしかねない面があり深いんだか浅いんだか分かりません。でもその気紛れな猫のような感じが今の自分には楽しいです。

ちなみにインスタはハッシュタグ毎に投稿された写真を検索できるのですが、「デジタルでフィルムを再現したい」等の純作品的なタグに関しては自分の写真がちょくちょく人気投稿にランクインするようになって喜んでおります。
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それ以外では、IQ160以上でないと入れない超高知能団体Helliqのオフ会に出たのですが自分以外みんな天才かと思いました。一応自分もメンバーではあるのですが、分かりやすい天才感とか特殊能力とかないからねー。そんな分かりやすい天才感を醸す人いるんかい、とお思いでしょうがいるんですわこれが。勿論楽しかったです。

近況

だいぶご無沙汰しておりました。
先日リニューアルした僕の個人(仕事)サイトへの作品掲載作業がやっと終わりました。掲載したのは比較的最近の作品の中の更に一部ではありますが、既存作品の投稿はこれで終わりで、今後は更なる新作が公開可能になった場合に随時更新します。

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そして、このブログも構造としてはそのサイトの一部ですので、デザインを(ガンダムに対するジムみたいな意味に於いて)統一しました…というのが1週間くらい前の話。

ブログを更新できなかった期間のその他の出来事としては、相変わらず仕事のほうは忙しくさせて頂いており、その合間にインスタも更新中です。

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これは、母校の慶應SFCでメンサ会員とSFC生がディスカッションするイベントがあったのですが、それに出た際に撮ったもの。

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これは以前から知り合いのみやびさんとコラボしたもの。

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その他いろいろ。

インスタは元写真をいかに加工するかが命、みたいなところがあり、以前は既製のフィルターを使っていたのですが最近はそれを独自のものに変えました。仕組み自体も独自だし、更にパラメータを写真毎に調整する方式です。そのお陰もあってか最近は「いいね」の数も増えてきて嬉しい限りです。

そして、以前の記事でオリジナル映像作品も作ろうとしている、と書きましたが、その撮影もしました。既に主要部分は終わっており、追加要素をこれから多少撮る程度。とはいえその後の編集、CG工程がめっちゃ長いので完成は当分先です!
作品の詳細は追ってお知らせさせて頂きますが、ジャンルとしてはドキュメンタリーです。内容的にはめっちゃ自信があるのですが、あり過ぎて「この作品がより多くの人に知られないのは世の道理として間違っている。なんとかそれは避けなくては」みたいな気持ちになっております(笑)。ご期待ください。

アートの成立要件

IQや高知能といった方面に僕は興味があって、
このブログでも以前はそういうネタをよく書いていました。

結果的にMENSAとHELLIQという2つの高IQ団体に入ったりもしたのですが、
それらの会員の皆様と普段からSNS等で接しているとそれが日常化してしまい、
殊更ブログネタとして取り上げないでもいっか、というのが最近の状態でした。

でも、その方面で久々に印象深かったことが。
MENSA会員の知人に、IQテストが好き過ぎて遂に自分で作ってしまった方がいます。
まあその趣味自体全く一般的ではないと思うのですが笑、
それはさておき、その問題を改めてじっくり見て驚きました。
問題の絵面自体が美しかったからです。

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この問題の作者はMACHというIQテストで日本記録を出した方なのですが、
彼はこの問題を作るのに全力を尽くしたそうです。
その考え抜かれた感が何故か伝わってくるし、
それが伝わってくる時点でこの問題は問題という枠組みを少しはみ出しています。
そのはみ出した分は、やはりアート性とでも呼ぶほかないのではないかと。
今、一緒に仕事をしている作曲家の方にこのテストを見せたら、
やはり絵面が美しいと言っていました。

つまりある程度高出力の脳を持つ人が全力で何かを作った場合、
それだけで広義のアートを成立させる要件を満たすのかもしれないね。

まあ今までもそういうことを思わなくはなかったですが、
「作品」という括りからは一番遠そうなこういうテスト問題でも、
その法則が成り立つというのはやはり感慨深いです。

※IQテストを他の人と相談しながら解いたり、解法を公開、共有することは禁止されています。
 ルールを守って挑戦しましょう!